安堂グループの歴史物語[第24話]

安堂グループの歴史物語 タイトル画像

 高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。

第24話

「高森亭の生い立ち」

 平成23年(2011)の東日本大震災による原発事故は、食の安全に力を尽くしてきた安堂畜産にとっては、まさしく寝耳に水の出来事でした。O157やBSE等への対策を整え、最高峰の衛生管理手法であるHACCP(ハサップ)の認証取得も受けました。ところが、まさかあのような未曽有の災害が発生するとは…。
 「これから先も、何が起こるのかわからない」。光明と卓也はそんな思いを強くしました。想定外の何かが発生したとき、その困難を克服するには何が必要なのか?
 その答えの一つは、特徴のある商品の開発。物語は東日本大震災の8年前に遡ります。

伊万里ステーキ街道

 平成15年(2003)、光明は新たな事業に乗り出すことにしました。直営レストラン・周防肉処 高森亭の開業です。
 きっかけは、当時の周東町長の「町内には肉が買える店はたくさんあるが、食べられる店がない。ぜひ、作ってくれませんか」という言葉でした。たまたま縁のあった元高森郵便局の建物をどう利用しようかと考えていた光明は、それに応えることにしました。
 開業に先だって光明は、伊万里牛の産地・佐賀県伊万里市へリサーチに出かけました。そこには「伊万里ステーキ街道」と呼ばれる国道があり、ステーキ店が点在しています。
 店内に入ればステーキが焼ける香ばしい匂い。調理人たちが鉄板で手際よくステーキを焼いている姿が目に飛び込んできました。ステーキが運ばれてくる前から、嫌が上にもおいしさへの期待が増します。
 「よし、この方式でいこう」。ステーキを食べる前に決断した光明でした。

滑り出しは好調

 建物は昭和37年(1962)築の元高森郵便局。近隣の人々にとっては、長年親しんだ愛着のある建物です。光明は最低限の改装に抑えて、昭和レトロの雰囲気を残すことにしました。美しい採光のステンドグラスをそのままに、木の窓枠もできるだけ残しました。そして、厨房には客と対面する形で大きな鉄板を配置し、各客席にも鉄板を備えました。「もし、ステーキがダメだったら、お好み焼きに変えればいい」。そんな代案もあったようです。
 店名は周防高森駅前通りの地名にちなんで「周防肉処 高森亭」。地域の人々はもちろん、遠方からもおいしい高森牛を味わいに来てほしい。そんな願いを込めました。

  • 高森亭/建物は元高森郵便局▲高森亭/建物は元高森郵便局
  • 高森牛のステーキ▲高森牛のステーキ

 平成15年(2003)の10月、まさしく食欲の秋に高森亭はオープンしました。産地で高森牛が味わえるとあって、昼も夜も客の出足はまずまずでした。ところが、それは長くは続きませんでした。特に夜の客足はすぐに遠のいてしまったのです。
 「なんでじゃろう。伊万里では人が来るのに、ここだと来ない。…場所が悪いのか?」。
 原因の一つは、その価格でした。1枚が2千円~3千円のステーキを食べに行く人が地域には少なかったのです。周東町と玖珂町を合わせて2万人強という近隣人口です。期待した遠方からの来店も、宣伝が行き渡らないその時期には、皆無でした。

 光明はすぐに手を打ちました。まず、夜の営業は中止にしました。そして、地域の顧客層に合わせて、気軽に食べることのできるランチメニューを考案しました。それが、後に一番人気になる「あみ焼き」でした。

おふくろの味

 光明には子どもの頃に食べた忘れられない味があります。母が作ってくれた弁当にはよく焼肉が入っていました。それは七輪で肉を素焼きした後、醤油と砂糖の甘辛いタレに潜らせたもの。最初に焼くことで余分な脂が落ち、焦げることなく浸み込んだタレがなんとも言えない濃厚な味わい。ご飯が進むし、冷めても美味しい。光明にとってそれはおふくろの味であり、地域の多くの家庭で作られていた郷土料理でもありました。
 光明はこの「あみ焼き」を高森亭のランチメニューに加えました。そして、1,000円という手軽さも手伝って、たちまち人気メニューになりました。
 その後も光明の父・親之がレシピを考案したハンバーグや、三沢市(青森県)のご当地グルメ「バラ焼き」(バラ肉とタマネギの炒め焼き)等が加わり、高森亭は宣伝しなくても口コミで客足が絶えない人気店へと発展しました。
 混みあう店内を見ながら、「あの時、ステーキがダメだからって、お好み焼きに変えなくてよかった」としみじみ思う光明。そして、昔から地域に親しまれている「うまい!」が、いかに偉大であるのかを知ったのでした。
 やがて「昔ながらの味わい」というコンセプトは、現在の安堂畜産の商品力を支える一つの柱になりました。

  • あみ焼き定食(高森の郷土料理)▲あみ焼き定食(高森の郷土料理)
  • 牛ばら定食(青森・三沢市のご当地グルメ)▲牛ばら定食(青森・三沢市のご当地グルメ)
  • 牛めし▲牛めし
  • ビーフシチュー(200gの牛肉入り)▲ビーフシチュー(200gの牛肉入り)

ヒット商品についたケチ

 さて、昔から親しまれていた「あみ焼き」のヒットに気を良くした光明は、やはり地元の味として親しまれていた「干し肉」や「牛のタタキ」をメニューに加え、人気を博しました。ところが、その「牛のタタキ」について、行政からストップがかかったのです。店で切って食べさせるのはもちろん、スーパーの店頭でも売ってはならないということでした。
 東日本大震災の発生から1ヶ月後の平成23年(2011)4月、飲食チェーン店で腸管出血性大腸菌による食中毒事件が発生しました。5名の死亡と多数の重傷者が出る大事故です。
 これを契機に政府は生食用食肉の規制基準を設け、違反には罰則を伴う厳しい処分が下されることになりました。
 「長年売ってきたタタキを、スーパーでも売るなとは…」。困惑する光明の言葉を聞いて、卓也はいたたまれない気持ちになりました。
 「苦労してハサップの取得認証を受けたうちのタタキが、販売中止なんて!」。
 卓也による、牛のタタキを巡る闘争が始まろうとしていました。

← 第23話 「目に見えない敵」

→ 第25話 「牛のタタキを救え!」