安堂グループの歴史物語[第26話]

安堂グループの歴史物語 タイトル画像

 高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。

第26話

「復活! 牛のタタキ」

 平成23年(2011)4月の焼肉チェーン店での食中毒事件をきっかけに、生食用牛肉に新たな規格基準が設けられ、牛タタキがその対象になりました。長年親しまれてきた安堂畜産の牛タタキも、同年10月から製造中止になっていました。早く製造許可を受けて、店頭に商品を並べたい安堂卓也(現・社長)でしたが、厚労省とのやり取りは難航し、製造中止のまま年を越し、お盆の商機も逃していました。

意地でも年末に作りたい

 そもそも牛タタキが生食用牛肉に含まれるのかどうか。その議論に3ヶ月以上を費やしましたが、結論は変わらず。さらには製造方法に関しても厚労省と衝突。結果、安堂畜産が従来から行っていた高温の油で揚げるという調理法では、許可は下りませんでした。厚労省は60℃の湯に2分以上加熱して、深さ1cm以上まで熱を加えるという方法を強いて、それ以外を認めなかったのです(第25話)
 平成24年(2012)10月、既に牛タタキの製造中止から1年が過ぎていました。
 「意地でも、年の暮れにはタタキを店頭に並べたい」。
 卓也はやむを得ず厚労省が示した製造方法を取り入れることにしました。ただし、安堂畜産の味を守るために、従来の調理法も捨てはしませんでした。

苦肉の策

 厚労省の指示は、肉片を袋に密閉し、お湯によって加熱する方法です。これにより、表面から深さ1cmの加熱された層を作ります。この工程を経ることにより、製造許可の基準を満たしたことになります。
 さて、加熱後に袋を開けてみると、ふやけた肉片からはなんとも言えない異臭がしてきます。密閉により、匂いが水に溶け出すことなく残留しているからです。そこで卓也はこの肉片の熱が通った表面を、さらに削ぐことにしました。そしてこれを材料として、塩・香辛料・ガーリックにより味付けを行い、高温の油で一気に揚げて、牛タタキを作りました。
 表面が適度に焦げて、食欲をそそる香りが、調理場いっぱいに立ち込めました。その方法は、厚労省の定めた基準をクリアーしながらも、伝統の味を守るための苦肉の策でした。
 保健所を通じて生食用牛肉の製造許可が下ったのは、その年の12月25日。年末商戦ぎりぎりのタイミング。その時に許可を得た企業は、全国でたったの3社だったといいます。

安堂グループの歴史物語第26話 厚労省から製造許可を得た牛タタキ調理例
▲厚労省から製造許可を得た牛タタキ調理例

果たして売れるのか

 平成24年(2012)の年末、牛タタキがおよそ1年2ヶ月ぶりに直営店(肉のこーべや玖珂店)の売場に並びました。用意できたのは300kg、およそ2,000個でした。卓也の胸中には、年末になんとか間に合ったという安堵と、果たして売れるだろうかという不安が同居していました。
 肉片は一度湯で加熱することにより水分が抜けて1割の目方を失います。さらにふやけた表面を削ることで、2割が失われます。結果、製造過程で失った3割は、販売価格で吸収するしかありません。値上げは2割に抑えることにしましたが、果たして受け入れてもらえるのかどうか…。
 恐る恐る売場に行ってみると、買い物客のカゴの多くには牛タタキが入っているではあませんか。一部の客はまとめ買いの様相で、店員は商品の補充に追われていました。客は牛タタキをずっと待ってくれていたのです。それまでの苦労が一気に報われた瞬間でした。

インチキ商法

 生食用牛肉の規格基準が設けられ、牛タタキがその規制対象になったころから、とある有名焼肉店では「タタキ風レアステーキ」なるメニューが登場しました。それは紛れもない牛タタキですが、店はレアステーキだと言い張って譲りません。レアステーキは規制の対象外になっていることを利用した一種のインチキです。
 卓也は違いました。「レアステーキは規制の対象外なのに、牛タタキが対象になるのはおかしい」と厚労省に真っ向から意見。それが認められないとなれば、許可を得るために粘り強い実験と交渉を重ねました。時には、熱くなる場面もありましたが、それは「祖父から受け継いだ製法の安全性を認めて欲しい」という熱意の表れでもありました。
 正しいと思ったら、不器用でも真っ向勝負し、解決策を粘り強く見いだす。これもまた、安堂商店から安堂畜産へと受け継がれた気質なのです。

安堂グループの歴史物語第26話 ふるさと高森の味、「干肉」と「牛たたき」
▲ふるさと高森の味、「干肉」と「牛たたき」

 「昔ながらの地元の味」というコンセプトは、安堂畜産の商品開発の根底を流れる思想です。少年だった光明の弁当に入っていた「あみ焼き」(高森亭)、「牛タタキ」「干肉」もまさしく故郷・高森の味わいです。そんな故郷の味を語るとき、山口県固有種である「無角和牛」に触れないわけにはいきません。安堂畜産は、この赤身の多い稀有な品種の存続に深く関わってきました。
 物語は阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件の翌年、平成8年(1996)に遡ります。

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