安堂グループの歴史物語[第27話]

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 高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。

第27話

「角のない牛」

 「ふるさとの味わい」を守り追求することは、安堂畜産にとって大切な理念の一つです。明治初期からの伝統ある高森(山口県岩国市周東町)の食肉産業にあって、安堂畜産の創業は昭和22年(1947)と後発組ですが、伝統の味へのこだわりは他のどの事業者よりも強いものがあります。
 「そんな懐かしい味わいの一つに無角和種があります。大正時代、山口県に生まれ阿武町(現・萩市)を中心に肥育され、最盛期には年間肥育頭数1万頭弱、昭和38年には子牛の価格が黒毛和牛よりも高値を付けるほどの人気でした。
 ところが時代の流れとともにその人気は急降下し、平成になった頃には絶滅が危惧される状況に陥っていました。

種の保存への挑戦

 当時社長だった安堂光明(現・会長)にとって、絶滅に瀕した無角和種のことは、とても見過ごすことのできないことでした。懐かしい味を失いたくないという思いは勿論、獣医として希少な種を守りたいという気持ちが強かったからです。
 平成8年、無角和種産直拡大協議会(以下、産直協議会)が設立され、光明も流通業者としてこれに参加する機会を得ました。その2年前には、阿武町に無角和種の繁殖センターも完成し、農家から集めた57頭を元に増産への取り組みがすでに始まっていました。
 「頭数を増やしながら、今度は売れるしくみを作れば、無角は生き残れる!」。
 光明は種の保存に明るい兆しを感じていました。しかし、それは長く困難な道のりの始まりでもあったのです。

無角和種の優劣

 和牛には4つの種があります。黒毛和種、褐毛和種、日本短角種、そして無角和種です。どれも、明治以前に日本に在来していた牛に欧米の品種を掛け合わせたものです。日本の在来種には脂肪交雑(サシ)が入りやすいという特徴はありましたが、欧米種に比べて体格が小さく、それを補うために品種改良が積極的に進められ、日本の在来種は姿を消しました。なお、わずかに離島の見島(萩市)で、日本の在来種は存続し、現在は天然記念物に指定されています。
 無角和種は大正9年に端を発します。国立畜産試験場中国支場において、欧米から輸入されていたアバディーン・アンガス牛と黒毛和牛の掛け合わせにより、雄牛・小雀号(こがらごう)が生まれました。均整がとれて肉つきも良いが、性格はおとなしかったと記録されています。その小雀号が阿武町に入ると、種牛としての本領を発揮。その後も改良が進められて無角和種が生まれました。

 無角和種はその名の通り角がありません。それは、祖先にあたるアンガス牛に角がないからです。そして、アンガス牛のように肩とモモが大きくて奥行きがあることから、モモ・カタ・バラが大きく育ちます。
 また、エサを選り好みせず粗食に耐え、成長が早いことも畜産業者にとってありがたい特徴です。黒毛和種と違って、草に多少カビが生えていても、刈り取りが遅かった草でもよく食べて消化します。そして、21ヶ月ほどで600キロ前後に成長して出荷。黒毛和種が2回転するうちに3回転すると言われるほどです。
 さらには、よく乳がでるために子育てが上手。そして、黒毛和種が6回くらいの出産で更新されるのに比べて、無角和種は12~13回の出産が可能です。加えて、角がない上に性格が穏やかなために、扱いが容易でした。つまり、畜産業者にとっては、いいことばかりの肉牛だったのです。
 しかし、一つだけ黒毛和牛にかなわない特徴がありました。肉にサシが入り難いということです。

瀕死の無角

 昭和40年代初めまで、無角和種は黒毛和種に勝るとも劣らない生産頭数を誇り、仔牛の相場も一時は黒毛和種に勝りました。しかし、人々の食生活が豊かなになるにつれ、サシの入った霜降り肉が好まれるようになり、サシが入りにくい赤身の無角和種は人気を落とし、値を下げました。そして、生産農家も高く売れる黒毛和種への転換を図り、無角和種の生産頭数は急激に下がったのです。一時は1万頭に迫る盛況も、産直協議会が発足した平成8年(1996)頃には、300頭を切っていました。一般に種の保存には最低1,000~2,000頭は必要とされていることから、無角和種は限りなく絶滅に近い状況だったと言えます。

価値を伝える難しさ

 産直協議会の目的は、無角和種を適正な価格で流通する仕組みを作ること。そのためには、サシの入った肉と同じ土俵で比較される市場ではなく、消費者に直接産地から商品を届ける産直方式により、値付けの主導権を握ることが必要でした。
 光明も議論に加わり、まずは無角和種を消費者に知ってもらうことから取り組みは始まりました。当時のパンフレットが残されています。

安堂グループの歴史物語第27話 当初の無角のチラシ
▲初期の頃の無角和種のパンフレット

 「つのがないのは、おいしいシルシ」というタイトルが目に飛び込みます。サブタイトルには、「地元で育った安心な無角和牛」、「ヘルシーな脂身の少ない赤身肉です」というキャッチとともに価格が表示されています。
 いくら産直で売ると言っても、その商品価値を消費者が認めなければ売れません。伝えるべき無角和種の価値とはすなわち、「地産地消」と「ヘルシーな赤身肉」という2点でした。
 阿武町では「無角和牛まつり・じゅーじゅーまつり」を開催。大規模に試食販売を実施しました。そして、周東食肉フェアでも試食イベントを実施し、アンケートにより感想を募りもしました。そして、販売店には無角和種の特徴を説明するパネルと共にパンフレットを配布するようにしたのです。
 しかし、テレビのグルメ番組では霜降りの黒毛和牛ばかりが持てはやされる時代でした。繁殖センター横には1.5haという広大な専用牧草地が整備され、平成10年には年間50頭余りの肉牛を出荷できるところまで生産頭数は増えていましたが、肝心の需要の方は伸び悩み、10年以上の歳月が経ちました。
 そして平成20年代に入ったある日、産直協議会のメンバーに願ってもない嬉しい知らせが飛び込んできたのでした。

安堂グループの歴史物語第27話 現在の無角のパンフ
▲現在の無角和種のパンフレット

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