安堂グループの歴史物語[第28話]

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 高森牛の歴史は明治初期に遡ります。その長い歴史のなか、山口県東部随一の牛肉生産を誇る安堂の名が登場するのは、意外にも戦後間もなく、昭和22年のことでした。
これは、現在の安堂グループに至る道のりを辿った歴史物語。そこには、激動の時代を生きた5つの世代、それぞれの苦難と歓喜の秘話がありました。

第28話

「無角和牛を救った恩人たち」

 種の保存には最低1,000~2,000頭は必要だと言われるなか、無角和種の頭数は300を切っていました(平成8年)。山口県に生まれ、昭和30年代には年間約1万頭が肥育されていた無角和種です。その絶滅を防ぐため、平成6年(1994)には無角和種振興公社(山口県と産地市町村、農協、経済連)が設立され、阿武町に繁殖センターを整備。その2年後には無角和種産直拡大協議会(以下、産直協議会)が立ち上がると、安堂光明(現・安堂畜産会長)はその一員として無角和種の需要喚起と増産に協力していました。
 ところが、サシ(霜降り)が入った牛肉ばかりがもてはやされるご時世のなか、赤身肉の無角和種は大変な苦戦を強いられていました。

あるテレビ番組

 風向きが変わったのは、平成16年(2004)12月2日、あるテレビ番組の放送が発端でした。どのグルメ番組も霜降り肉ばかりを取り上げてたなかで、人気番組『どっちの料理ショー』(日本テレビ、関西地区平均視聴率15.8%)は山口県阿武町から無角和種を取り寄せてビーフシチューを作らせ、豚の角煮と対決させました。結果は、パネリスト7人の全員がビーフシチューを選んで完勝。その勝因は、草彅剛さんが無角和牛のステーキを口にしたときの、なんとも言えない美味しそうな表情だったということでした。当時、安堂畜産は産地・萩市の道の駅萩しーまーとで無角和牛を販売していました。何の前触れもなく、無角和牛を名指しで買いに来る客が急に増えたことに、店員たちは「何が起きたのか!?」と驚き戸惑ったといいます。
 そして、関東の料理人からも声がかかりました。「創作料理しもかわ」(現・肉料理しもかわ、東京都練馬区大泉学園)のオーナーシェフ・下川倫史さんです。下川シェフはわざわざ安堂畜産にも来訪し、その加工現場を見学。これ以降、下川シェフと安堂畜産の取引は現在も続いています。

フレンチの大御所

 平成20年代(2008~)に入ると、全国のホテルやレストランへ食材を提供する株式会社グローバルフィッシュ(以下、G社)からの引き合いを受けました。社名の通り魚介を主に扱うG社へは当初、「山口の魚を扱ってほしい」という申し入れが山口県からありました。これに対してG社は「一緒に肉も揃えたい。山口にしかない肉があれば…」と答えました。山口県にしかない肉となれば、無角和種の出番です。
 こうして無角和種が有名ホテルへ提案されるようになると、ほどなくして願ってもないオーダーが寄せられました。日本を代表するフレンチシェフの一人、柏木健一さん(ホテルグランヴィア大阪・洋食統括料理長、ピエール・テタンジェ国際料理賞コンクール世界3位)から、「無角和牛が気に入ったから使いたい」との申し出でした。
 もともと欧米の肉牛はサシの入らない赤身肉です。当然、フランス料理も伝統的に赤身肉を使います。ところが、和牛といえば霜降りが定番。「美味しい赤身肉、しかも和牛の香りを持ったものはないものか」と探していた柏木シェフにとって、無角和種は申し分のないものでした。柏木シェフが使うことにより、他の高級レストランからも徐々に引き合いが入るようになりました。

ネット通販と人気タレント

 ホテルやレストランへの販売チャネルはG社を通じて作ることができました。しかし、ホテルやレストランのオーダーは、ヒレ、ロース、ランプ、イチボ等、特定の人気部位に偏りがちです。他の部位もコンスタントに売れなければロスが大きく、肥育した牛も子牛も値は上がらず、農家の意欲も削がれます。牛の作り手がいなければ、やがて種の保存も危うくなるでしょう。
 そんなとき、光明は全農山口本部のSさんとゴルフに行っていて、こんな会話を交わしました。
 「安堂さん。うちでインターネットの通販をやっているんですが…。山口の肉も出してみたいんです」。
 全農は平成13年(2001)から、「JAタウン」というインターネット通販サイトを運営しています。そのサイトは、全国から評判の農産物を取り寄せて贈答にも使えるとあって、人気を博していました。
 「そりゃあいいことですね」と光明が応えると、
 Sさんは困り顔で、
 「いや、それがね。岐阜には飛騨牛がある。大分には豊後牛という霜降り肉がある。そんななかで、山口の和牛といってもねぇ…。何か際立った魅力がないとね…」。
 「Sさん、だったら持って来いの肉がありますよ。山口にしかいない牛、無角ですよ」。

 後日、無角和種は「無角和牛」として、飛騨牛等と同じページに並びました。「山口県にしかない」、「牛肉本来のうま味が味わえる」、「赤身のおいしさ」等のキャッチフレーズと、霜降り肉とは一線を画す赤身肉の写真が目を引きました。
 ところが、光明の期待をよそに、それはなかなか売れませんでした。光明はだんだんと、Sさんに申し訳ないような気持ちになっていきました。

安堂グループの歴史物語第28話 ネットショップ・JAタウンの無角和牛
▲ネットショップ・JAタウンの無角和牛
ネットショップはこちら

 それから数か月が過ぎた頃のことです。ネット上に異変が起きました。急に「無角和牛」が売れて、もともと数の少なかった商品はすぐに完売しました。その原因はラジオでした。
 ラジオパーソナリティやテレビのバラエティ番組の出演者として人気の伊集院光さんが、取り寄せた無角和牛について自身の番組で熱く語りました。そして、ツイッターでも、こんなつぶやきを発信しています。
 「無角和牛っていうのが、赤身の和牛でうまいです。絶滅させないように気を付けて食べています」。
 伊集院さんに褒められて、無角和種は一気に全国区に躍り出て、取り寄せができるJAタウンにも火が付いたというわけです。
 JAタウンでは、販売すればすぐに完売するようになり、その内、事前に予約しなければ手に入らないという状況になりました。

安堂グループの歴史物語第28話 テレビ番組「中四国の食遺産にしたいこの一品」(山口放送・平成19年12月22日放送)の画面

▲テレビ番組「中四国の食遺産にしたいこの一品」(山口放送・平成19年12月22日放送)で無角和牛が取り上げられて、コメントする料理評論家・岸朝子さん(故人)。
「やわらかい。サシが少ないからやさしいお味ね」とのコメントをいただきました。

増えない生産

 近年の健康意識の高まりのなか、赤身肉の美味しさに目覚めた人たちも増えて、無角和牛への期待はさらに増しています。ところが、無角和種振興公社が設立され繁殖センターが整備されてから25年以上を過ぎても、残念なことにその生産はほとんど増えていません。月に3~4頭が出荷され、年間40頭弱。これでは、購入するのも至難の業。その美味しさはもはや伝説になろうとしています。
 当初、需要が増えれば無角和種の値も上がり、生産者も増えるだろうと考えられていました。ところが、高齢化などにより生産農家そのものが減るなか、黒毛和種の子牛価格が50~60万円にもなり、その半値もつかない無角和種をあえて生産しようとする業者はいません。現在、無角和種を生産しているのは、振興公社と畜産試験場、そして農業大学校という状況です。
 しかも、「無角はアンガス牛の血が入っているから大きく育つかと思ったら、これがなかなか大きくならない。黒毛が17ヶ月で700キロを超えるのに比べて、無角は22ヶ月で600キロまで届かない」と、光明はため息をつきます。おとなしくて育てやすい種ですが、大きく育たないとなれば、生産者はなおさら尻込みをしてしまいます。
 しかし、光明はまだまだ諦めてはいません。
 「長い年月が経って、近親交配の比率が高くなりすぎているのが原因じゃないかな。冷凍してある昔の精子で交配したらどうだろう」と、新たな手立てを思案しています。

 一方、平成17年(2005)から安堂畜産で苦楽を共にしてきた安堂卓也(現・社長)も、無角和種の絶滅危機を防ごうと奮闘する父の姿を見てきました。「どうしたらこの赤い肉に、もっと付加価値を付けることができるだろう」と、卓也も思いを巡らしてきました。
 平成28年(2016)、ある同業者が無角和種の赤身肉を見たいと、わざわざ静岡県からやってきました。株式会社さの萬は100年を越える老舗の畜産業者。そして、「究極の赤身牛 ドライエイジングビーフ」という新商品で業界の話題になっていました。ドライエイジングとは肉の熟成方法の一つです。
卓也はその出会いをきっかけに、熟成肉の魅力に取りつかれていくのでした。

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→ 第29話は、8月下旬掲載予定