周東町の畜産の歴史

周東町(旧 玖珂郡高森町)は、山口県東部にあります。
2006年3月20日、岩国市および玖珂郡内の町村(和木町を除く)と合併し、新たに岩国市周東町となりました。

ここで、周東町における畜産の歴史を紹介しましょう。

●周東町における畜産の歴史 ●社会情勢
< 明治 > ————————————————–
・元年(1868)12月 上久原村庄屋・宇野茂吉朗、牛馬の飼草および肥し下草採用のため、二井寺御立山六町歩のうち三町歩に、村民の立ち入りを願い出て許される。
・8年(1875) 税制改革により、国税9種のなかに牛馬売買税が加わる
・16年(1883)是年 上久原村・下久原村両村の7月以降半年間の牛馬買入れる。販売頭数は次表の通り。
【牛】買入れ頭数:2,187 価格:14,361.5円
販売頭数:1,870 価格:10,021. 円


【馬】買入れ頭数:619 価格:8,553.6円
販売頭数:365 価格:5,094.1円

・22年(1889) 大日本帝国憲法の発布
・27年(1894) 日清戦争の開始
・37年(1904) 日露戦争の開始
・42年(1909)8月 高森の東河原にて、牛馬市場の開業式を挙行し、余興に競馬を行う。観客1万人に及ぶ人出で賑わう。
・44年(1911)8月 知事名をもって、家畜市場法に基づく高森牛馬市場の取り扱い区域を高森・米川・玖珂・祖生の四ヵ村と告知する。これにより、当該区域内では、家畜市場の開催日とその前後2日間、個人業者による売買交換が禁止される。
< 大正 > ————————————————–
・ 3年(1914) 第一次世界大戦に参加
・12年(1923) 関東大震災が起こる
・4年(1915)9月 連福屠畜場を改築、総工費450余円、別に200余円を投じ、台秤を備え付ける。
・  〃 12月 高森小学校において、玖西5ヵ村連合物産および家畜共進会を開催する。そのうち、家畜(牛・馬・鶏)は36点。
・6年(1917)2月 玖西5ヵ村の牛馬商が高森家畜市場に集会し、業務上のことを協議する。出席者88名、欠席者5名。
・7年(1918)1月 高森常設家畜市場の株主総会を開き、役員の選出を行う。組合長理事は藤田庫作、理事は三戸熊太・岩本清馬、幹事は三坂寿一・藤嶋進吾。
・9年(1920)12月 高森小学校において、玖西5ヵ村連合物産共進会にあわせ、全国副業巡回展があり、第2会場(上市家畜市場)では玖西連合畜産共進会を開催。余興として活動写真、自転車変装行列、撃剣大会、牛馬行列、大角力などが行われる。
・11年(1922)1月 高森屠殺場の大正10年度の屠殺高1,528頭。前年度より300頭、5年前に比較すれば倍増になる。12日付けの防長新聞にて「同屠場は屠殺牛を精選し、営業者・小売人とも当局の屠場内改善を実行せる為、県下第一の屠場として恥じざるものありと。」
・  〃 9月 高森村会において屠場を村営にすることを満場一致で可決する。
< 昭和 > ————————————————–
・3年(1928)1月 町営屠場の昭和2年度の屠殺数1,192頭。前年に対し184頭の増。販路は島根県六日市、広島県宮島町。山口町および周東4郡の全域にわたる。
・  〃 3月 町営屠場において屠殺競技と畜魂祭を行う。競技は県下に先例がなく、全国的にも稀な催しとして注目される。
・ 6年(1931) 満州事変
・16年(1941) 太平洋戦争の開始
・21年(1946) 日本国憲法の公布
・22年(1947) 日本畜産協会創立
・25年(1950)12月 町営高森屠場の第一期工事(工費188万円)が竣工、落成式を挙行し、18日頃から実際の使用を開始する。同屠場は一度に18頭の処理能力があった。
・26年(1951)3月 新築の高森屠場で初めての畜魂祭を執行する。
・  〃 10月 ルース台風襲来。夕方から最大風速30m、285.6mm.の豪雨で人畜、田畑、堤防などに甚大な被害をもたらす。
・28年(1953)5月 徳山家畜保健所は牛の精液貯蔵所を高森町に設置する。6月始めから高森酪農組合冷蔵庫に貯蔵し、牛の人工授精に活用する。 ・28年(1953) 広島で第1回全国和牛共進会を開催する
・30年(1955)4月 玖珂郡高森町・祖生村・米川村・川越村を廃し、その区域をもって「周東町」を設置。
・33年(1958)2月 高森家畜市場落成式。
・39年(1964) 東京オリンピック開催
・45年(1970) 周東町の町営屠畜場が上久原上幡地区に移転されてから20数年経ち、施設の老朽化による食品衛生上、環境衛生上の問題を懸念する声から、県下の4つの屠畜場を統合整備する計画案が出される。が、多くの難問題により立ち消えとなる。
・51年(1976)11月 町営屠畜場の移改築について、町議会に「周東町食肉センター」として、用地の取得と施設建築契約締結議案を提出し、満場一致で可決。52年(1977)に建設工事に着手。
・53年(1978)2月 周東町食肉センター落成式。
< 平成 > ————————————————–
・26年(2014)2月 施設の老朽化や高森牛の販路拡大を達成するために最新鋭の「岩国市周東食肉センター」が稼働する。